Accipe quam primum

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

かくあれかし

私は一本気で素直で正直で不器用な人間なのでブログサービスの使い分けってよく分からない。

だんだんnoteと統合した方がいいんじゃないかなって気がしてきた。勉強の進捗を書くだけのつもりだったけど、どうしても余計なことをつい書いてしまうし。noteの方も方向変えようかなって思ってきたし。でもテキスト入力画面ははてなの方が好きかな…noteは長文向きじゃないんだよね。まあはてなも編集はしづらいんだけどね。早くHTMLに習熟したいね。Progateはレベル71にした。それぞれの言語特有の何かを勉強できそうなところで有料の壁になるっぽいんだけども。腰を据えてOcamlをやり通したい。むしろ大学に通いたい。

プライベートと仕事の切り分けって大変だろうなとインスタで有名な人々を見ていると思う。いや、本来は繋がっていて、そんなに厳密に切り分ける筋合いのものでもない。オンオフっていう方がおかしい。ずっとオンなのだ。全部オンの全部大事な生活なのだ。インスタで漫画とか絵とかあげていきたいんだけどね。まあでもそれもnoteの方がいいのかな、併用かな。

インターネットにはべつに何にもない。インターネットに期待してもしょうがない。自分が何もしなければ何もない。でも結局私は世界あるいは自分を整理か何かするつもりでインターネットに向かっている。もしくは好きな人に手紙を書くつもりで。舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』(いや、やっぱりApple製品の日本語変換能力って下がってきている気がするんだけど、これは日本の国際競争力(あまり好きな言葉じゃないけど、競争なんていうのはやりたい人だけでやればいいのであって、知らない間に巻き込まれる筋合いのものではない)が低下しているからなんだろうか?、いつもがっかりする)を久しぶりに読んでああそうそういつもこのスタンスでありたい、いつでもこういう心境に戻ってこれるといいよねって思ったので引用しておく。

「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになって欲しい。それぞれの願いを叶えて欲しい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。僕は世界中の全ての人たちが好きだ。(…)なぜならうまくすれば僕とそういう人たちはとても仲良くなれるし、そういう可能性があるということで、僕にとっては皆を愛するに十分なのだ。」

「僕はあえて過去のことについても祈る。もう既に起こってしまったことについても、こうなってほしいと願う。希望を持つ。」

舞城王太郎のというか、好きな文筆家の要素として、仮名漢字の選択・バランスの感じが良い、ということがある。

最近はどうか知らんが、舞城王太郎はいつもだいたい願っている。それが叶うのかどうかは分からない、その願いが妥当なものかどうか分からないけど、だいたい願っている。その感じが良いのだ。私がやりたくてやっているようなこともほとんどだいたい祈りではないかと思う。かくあれかし。かくあれかし。