Accipe quam primum

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

2018年、五味太郎

会社で使うカレンダーを用意しそびれたまま私は新年を迎えた。
しかたがないので、他になかったらこれでいいだろうと目をつけていたカレンダーを買いに行ったら売り切れていた。
もう自分で書いたらいいかなと思っていたところに、書店で五味太郎カレンダーが投げ売りされているのを見つけた。

私は五味太郎が好きだ。
子どもの頃からずっと好きで、絵本から随筆まで何十冊と読んでいると思う。
ラニフとコラボした『きんぎょが にげた』のTシャツも買った。『きんぎょが にげた』はメジャーな絵本なので、着ているとときどき「見たことある!」と食いついてもらえる。小さな子どもがいる人はほとんどの人が知っているような印象だったが、複数子どもがいても「知らない」という人がいて、私はそのときこの人は子育てのモグリなのではないかと疑った。しかしよく考えてみれば、私も絵本をメインで見るような年齢の頃は、五味太郎を知らなかったのだった。

五味太郎を知ったのは小学3年のころ学級文庫にあった『ことわざ絵本』である。小学生でカルチャーショックというのも変なような気がするが、そのくらいの強い衝撃を受け、熱心に繰り返して読んだ。

まずあの絵と文字が信じられなかった。こんなふうに描ける/書ける大人がいるんだ。すげえ。そして発想の自由さにも度肝を抜かれた。堂々とそんなことを言っていいのか、こんなふうに思ってもいいんだ。五味太郎みたいに自由に堂々とありたい、という願いはそのころからずっと持ち続けている

(が、最近やっと近づいてきたかなあという感じ(ああいう感じの字も書けるようになった)で、まったくまだまだです。ちなみに五味太郎の父親は大学の先生で、母親も文学が好きで趣味を持っていた人のようである。生い立ちについて語った記録を読むと、なるほど教養のある両親のもとですばらしい教育を受けてきて、五味太郎が出来上がったのだなと納得させられ、とてもうらやましくなる)。

つまり五味太郎のよさというのは、ユーモラスな絵だけではなく、盛られた言葉と相俟って漂ってくる自由主義の風みたいなもの、だと思う。社会派なんだな。

『きんぎょが にげた』もいいけど、それよりも『ことわざ絵本』の方にユニークさが現れていると、私は思う。幼児よりも、それより上の年齢の人間にとってインパクトが大きいと思う。

そういうわけで私は五味太郎カレンダーを買った。

このカレンダーがまたなかなか変わっていて、2週間ごとにめくる。絵の部分は、切り取ってはがきにすることができるデザイン。1年で約30枚、五味太郎の絵はがきができる。なかなか楽しい。こんなにあるのだったら何枚かどこかへ送ろうかしら、という気にもなる。

さらに使っていると気付くのは、このカレンダー、カレンダーとしての役目をあまり果たさないらしいということである。2週間、14日の表示しかないので、今週と、来週か先週しか分からない。しかも一律で14日の表示をされていると、どうも、一月まるごと載っているカレンダーと比較して、格段に「今日は何日の何曜日なのか」がよく分からなくなってくる(曜日も主張しないデザインになっている…)。よく分からなくなってくるので、日付などどうでもいいじゃないか、今は○日「ごろ」という程度の認識でいいんじゃないか、という気になってくる。もう終わったことや先のことに意識を向けて何がそんなに良いのか。現在に集中すれば?日付などたいしたことではないですよ。

というのが意図したものかどうかは知らないが、そのあたりも五味太郎ぽいと感じ、私はすっかりこのカレンダーが気に入ってしまった。今年は一層五味太郎に憧れ、一層自由を願って過ごすだろう。