Accipe quam primum

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

武器を捨てる美学

サプールの写真展がある(http://www.daimaru.co.jp/sapeur/)というので急に記事を漁ってえらい共感してしまった。

武器を持って戦争をしてしまったら好きな服を着てエレガントにステップを踏むことができないじゃないか?というのがサプールの思想。

(世界の95パーセントの人間はそれに共感できると思いたいが、好きな服を着てエレガントにステップを踏むよりも、誰かに武器を持たせて戦争させたい人間はいる、と思う。)

いや〜清々しい、人間こういう美学をなくしてしまったらいかんよなあ、と胸のすく思いだった。それ以外にも、ファッションのスタイルを体現する人々として、個人的に強く共感できる点がいくつかある。

1 金が無くても良い服を着る
私も生まれは貧しいけれど良い服を着たいという思いがなぜか強い質だと思う。多少の努力は惜しまずなるべく気に入ったものを着ていたい。この貧困と隣り合わせという点は、他のファッションアイコンには無いだろう。

2 派手な色遣いを楽しむ
まあそもそも黒人は派手な色が似合うんだけど…。私は派手な色も着ていて楽しいし面白いと思うんだけど、派手な色をこなしている人は周りにはいないので、贔屓目になるのかもしれない。

3 自国文化ではないヨーロッパの洋服文化を表現手段としている
まあこれも日本人と違い手足が長くてスタイルの良い黒人は、洋服が当然に似合うんだけど…サプールの洋服文化は、植民地支配を受けていたヨーロッパの文化なわけで、それでもそれを平和のための自己表現の手段とするというところがなかなか真似できないなーと。

私は洋服が好きだけど、日本人は本来和服の方が似合うんだけどなあ、戦争で負けたから入ってきて無理矢理日本式にしているようなもんだしなあ、洋服は白人や黒人に任せるべきなんじゃないかなあ、という葛藤が常にある。

「その父親が、たとえ悪い父親であったとしても、常に愛さないといけない。だから、パリのファッションを取り入れているんです」
「彼らは色々なことを教えてくれたし、スタイルについても同じように教えてくれたんです」
(サプールは、なぜ高級ブランドに身を包むのか
https://monoco.jp/article/sapeur-interview
分からないではないけど、私はまだこの境地にはたどり着けないんだよなあ。

さてググっていくとギネスビールがサプールのCMを制作していたとか。ギネスは結構広告が面白いんだよね。

ギネスビールが制作したサプールのショートドキュメンタリー
https://youtu.be/v2O5yfw20Yg

「互いの独自の美意識をリスペクトし、常に自分の美的センスを高く保つ事、平和を愛する事(作中に出演するサプールの一人は、戦乱で逃げ惑う中で服や靴を捨てねばならなかったエピソードを語っており、平和なくしてサップは存在しえないと述べている。)などの理念、時に互いの服や靴を貸与しあう事で、社会的地位、年齢の長幼、収入の多寡を超えて成立しうる概念である(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/サップ)」

私が広告にはまっていた頃のギネスのCM。
https://youtu.be/2NzRSCIKUlk

オリビエーロトスカーニとかに感化されて日本にも少しはパンチの効いた広告表現が出てくるんじゃないか?と当時は淡い期待をしてたけど、昨今はそれどころか炎上案件ばっかりでもうやめれば?と思ってしまう。

さておき、写真展には行きたい。
グッズのダイカットふせんを買ってヨシダナギトークを見てサプールと写真撮りたい。
大丸心斎橋は解体前に写真撮りに行って以来行ってないけど。