Accipe quam primum

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

片づけ

結局まだ片付けをしている。近藤麻理恵の本は2年くらい前に買って一度本などは300冊くらい処分したけど、まだまだ私の「片付け」は終わっていないようだ。ということで、所持している近藤麻理恵の本をまた読み返している。全部で4冊持っていて、今は2冊目の途中である。うーん。誰でもできる!やればできる!みたいなノリだけど、そんな簡単なもんじゃないよなーと思う。やっぱり自分の人生の難しさとか生きづらさに比例する部分もあるんだろうなと思う。厳しいよね。片付けに集中するためにできれば賃労働などには行きたくない。

今週はほとんどパソコンを開かなかった。マウスの調子が悪くなったり、何とか外付けモニタになるのではないかと思っていたiMacがやっぱりならなさそうなことが分かってテンションが落ちたり、病院行ったり資格の本を検討したりメガネやサングラスを調達していて家にいる時間があまりなかった。そのわりにちゃんと自炊してたしなあ。まあ今は腐りすぎることなく、やりたいことをやって少しでも進んでいればいいと思う。焦燥感も相変わらずだけれども。

収拾

がついてない。パソコンの周辺環境を整えるために片付けと模様替えをしている。今は主に本の整理でつまずいている。私は片づけが得意ではない。そのせいでずいぶん損をしていると思う。でもそういう育ちだったし性格もあるだろうし、仕方がない。そういう生活が上手にできないことについて、むちゃくちゃ努力してきたししている。それでもまだまだ辛いことも多い。辛い。私がこの辛さを引き受けなければならない理由はない。死にたい、という気持ちになってしまう。

間違った方向に行っているわけではない。確実に進んでいる。それはわかっている。でも本の整理は辛い。

まず本自体が重いということがあると思う。それは悪いことではなくて、ちゃんと物体として存在してないと忘れてしまうし、物体として本を持ってページをめくって線を引いて、という作業によって記憶に残りやすくなるということは確実にあると思う。

それから本を手に取ると、何かしら思い出して辛いということもある。大量の本を整理する場合には、大量の情報が否応無く思い出されるわけで、その対処がしんどいということも多分ある。

私は世の中の本好きからすればそんなにたくさんの本を持っているわけではないと思う。そんなに不要なものを持っている気もしない。でも、十分に収納できる場所を持っていない。余裕がない。それが辛い、というのもあると思う。まだ少しは工夫の余地はあるのだけれど…(関係ないけど、世のインテリア紹介みたいなものは大概本や服をほとんど持っていないような例ばかりで、私はまったく参考にできない。本と服をうまく収納したリーズナブルな部屋が見たい)

あとは、片付けている途中って、片付けが進んでいるのに、片付け前とか、ちょっと前の状態よりも散らかっていて悪くなっているように見えることがある、というのが挙げられるのではないか。

ここで自分としては断捨離として、一所懸命読んだ古典とか好きだったけど今はさほど見ることもない雑誌などを処分しようか悩んで、それを決めきれないのも面倒くささの一因かなあ…

ということをやっていると、あーほんと自分って面倒臭いなって自己嫌悪になりがちなんだよね。こういう風に過去みたいなものが嫌になってしまうのなら、やはりすべて捨ててしまう方が良いのだろうか。

ほとんどすべての人がそうであるように、本当に自分は自分のできる範囲でベストを尽くしたとしか言いようがないし、そのままよくやっているのだけれど、頭が痛い。

追記:
20時になった。少しずつやってはいる。不器用だ。6月の後半からずっとこんな調子で片づけている。それでもまだ終わらない。会社員として働くということは私にとっては、家の管理や自分のやりたいことと両立させるのが難しいことだったのだと思い知らされるような感じ。うまくやれるメンタルになれなくて何年も悩み続けてきたんだなという気がする。まだ答えが出ているわけでもないけど。

うーん近藤麻理恵の本をもう一度読み直してみよう。

追記2:

MacBookガイドブックを20ページくらいやってみた。すでに知らないことがいっぱいあった。

まだ自分が何ができて何がやりたいのかよく分からないところがある。それでも進んではいるんだけど、歯がゆいというかまだかまだかと思う。

しつこく古いiMacを外付けモニタにできないか調べ続けていたけど、やっぱり無理そうなので、やっとリサイクルに出す決心がついた。今までありがとうございました。

最近のブログはシフト+エンターで改行なんですね。今日まで知らなかった。

プログラミング3

・挫折しかかっている。ので今日は『独学プログラマー』をとりあえず全ページめくってみた。うーんざっと3分の2くらいまでのところが私にはきついっぽい。そこから先はもう少し興味を持ってやれるような気がするな。。でもやっぱりあまり体系立った感じがしないところが不安。まあ私のよくないところなんだろうけど。それっぽくしてあればいいってもんじゃないんだけど。

・てか本文読んでて気になったのが括弧の呼び方。()=丸括弧、はいいとして、[]=角括弧、?{}=波括弧に至っては初耳なんですけどほとんど。[]=大括弧、{}=中括弧じゃねーの??ってWikipedia見たら驚愕の事実が。

括弧 - Wikipedia

  • 日本などの一部の国では、数式における括弧の入れ子は [{()}] の順で用いられてきた。しかし、世界的には {[()]} の順で用いられる方式が多数派である。
  • JIS Z 8201-1981 においても「小括弧」・「中括弧」・「大括弧」という名称は廃止され、現在は「丸括弧」・「角括弧」・「波括弧」と表記されている。

は?まじで?グローバルスタンダードじゃなかったのかよ!!日本の数学!!と自分の常識が一つ崩れた。

・私は一体何のためにプログラミングをしたいんだっけ?まずは日本の労働慣行から自由になりたいから。次に、デザインのツールとして。それから新しい考え方を学びたいから。

・しかしやはり作業スペースが足りない。早く机と部屋のレイアウトを決めて環境を整えたい。

Pythonは挫折してもHTMLとCSSワードプレスくらいは一通りやりたい(私でも独学でできると思っている)んだけどな…サイトは作りたいんだよな…

・ネットの無料講座も活用したほうがいいのか

・『今すぐ使える簡単MacBook完全ガイドブック』も届いたのでMBPのカスタマイズも頑張りたい。

・プログラミングよりも絵が描きたかったりする。でも本当はそこトレードオフになるとこじゃない。自分にとって両方やりたいことなのだから。さっさと賃労働をセーブしたい。

 

BGM:Hail to the thief

いや、いいよね。こんな暗いアルバムもうそんな聴かないんじゃないかと思ってたけど全然そんなことない。

プログラミング2

『プログラミングの基礎』3ページのみ。

会社が…忙しいんじゃないけど疲れるので帰ってから勉強する余裕がない。でも今月は少し落ち着く予定。週末はどうしてもやらなければならない家事のため時間がなかった。。

 

しかしできれば毎日やったほうがいいんだなと…さっさと忘れる。『プログラミングの基礎』はやっぱりいい本なのでちゃんと勉強しないとというか、自分で学ぶぞという気持ちがないとすぐ脱落していくんだな、とすでに脱落しかかっているので、立て直したいというか、なるべく続けるようにしたい。

プログラミング1

今日は『プログラミングの基礎』を17ページまでやった。

この本は大学の先生が授業に使っているだけあって初心者でもとてもやりやすい。高校までの数学の教科書を思い出させてくれるような、気づきのある親切な問題設定である。素晴らしい。サイエンス社のサイトには授業動画まである。高校や大学時代ももっと貪欲に理系科目を頑張っておけばよかったと思う。色々なものに負けてしまったと思う。

さておき、『独学プログラマー』にはそうした親切さとか客観性が足りないので、ちょっと教材としては心もとない感じが否めない。またまだほんのちょっとしか触ってないけど、言語的にもOCamlの方がPythonよりも初心者には扱いやすいと思うな。まだ書いてあるところ以外でつまずくこともあり、1日10ページくらい進めるのが限界かなっていう気がする。それでも1ヶ月もあれば1冊終わるのだから悪くはないけど。

そして、ディスプレイ上で打ち込みながら学習していくので紙のノートのことは考えていなかったけど、あった方がいいような気がしてきた。

 

追記:HTML/CSSの教科書も21ページまで進めた。こちらもプログラミングの基礎ほどは厳格に教育を意識していなくて、実践、できればいいやっていう感じ。まあそういう本なんだけど。独学プログラマーよりは親切かな。でもこっちは自分のサイトを作るぞっていう点がやる気に繋がる。プログラミングの基礎も、最終的には一つプログラムを完成させる仕組みにはなっているんだけどね。まあなかなか、それぞれ違いがあって悪くない選択だったと思います。

勉強する

半年ほど放置してしまったはてブを再開しようと思う。こんにちは。

 

パソコンからネットに繋いで書くとこんな感じなんだね、圧倒的に編集しやすいね…(今まではネットに繋げないパソコンで書いて、iPhoneで仕上げてアップしていた)。そして見た感じも結構いいですね。編集サイドバーは便利でもあり、他のサービスと連携しすぎていて怖い気もする。

 

MacBook Pro(Mid2015)を買いました。今Mac購入ハイなので、やれることをやっておこうと思う。Macは買う前も買う時も買った後も楽しいのですごい。私が買った最後のMacは2007年くらいのものだったと思うので汗、当然ながら変わった点がたくさんあって感心している。まあでもサクサクネットできるパソコンがあるというだけでもう感動でテキストをむやみやたらに書きまくっている。

 

このブログで書く内容は、しばらくはwebの勉強とか転職の話。

プログラミングを勉強しようと思っていたら、ブログに記録をつけておくといいよって話を読んだので。ワードプレスでやろうか迷ったけど、まあそこまでやるかわかんないし、ワードプレスの前にやりたいことがあるので。まあ、ちゃんと勉強が続いたら他に移すなりもう少し系統立てるなりしたい。

 

しばらくは次の3冊を勉強していきます。

 

1 コーリー・アルソフ『独学プログラマー』(2018、日経BP社)

Pythonをベースにプログラミングってこんなもんだよ!って学べるはず。でも実際はPythonを動かせるようになるまでに結構戸惑いがあって挫折しかかった。一応使えるようにはなった。やれやれ

 

2 浅井健一『プログラミングの基礎』(2007、サイエンス社

OCamlでプログラミングの考え方が学べるはず。古典的な役割を期待。

 

3 高橋朋代/森智佳子『作りながら学ぶHTML/CSSデザインの教科書』(2013、SBクリエイティブ株式会社)

・Webデザインをやりたいのでとりあえずかじっとくか的な。Webでなくてもなんでもいいんだが私は何らかのデザイナーになりたいのだ。この本で自分のやりたいことややってきたことを紹介できるような、ポートフォリオ的なサイトが作れるといいなと思う。

 

順調にいけば、ターミナルとかUNIXとかの本も読みたい。

2018年、五味太郎

会社で使うカレンダーを用意しそびれたまま私は新年を迎えた。
しかたがないので、他になかったらこれでいいだろうと目をつけていたカレンダーを買いに行ったら売り切れていた。
もう自分で書いたらいいかなと思っていたところに、書店で五味太郎カレンダーが投げ売りされているのを見つけた。

私は五味太郎が好きだ。
子どもの頃からずっと好きで、絵本から随筆まで何十冊と読んでいると思う。
ラニフとコラボした『きんぎょが にげた』のTシャツも買った。『きんぎょが にげた』はメジャーな絵本なので、着ているとときどき「見たことある!」と食いついてもらえる。小さな子どもがいる人はほとんどの人が知っているような印象だったが、複数子どもがいても「知らない」という人がいて、私はそのときこの人は子育てのモグリなのではないかと疑った。しかしよく考えてみれば、私も絵本をメインで見るような年齢の頃は、五味太郎を知らなかったのだった。

五味太郎を知ったのは小学3年のころ学級文庫にあった『ことわざ絵本』である。小学生でカルチャーショックというのも変なような気がするが、そのくらいの強い衝撃を受け、熱心に繰り返して読んだ。

まずあの絵と文字が信じられなかった。こんなふうに描ける/書ける大人がいるんだ。すげえ。そして発想の自由さにも度肝を抜かれた。堂々とそんなことを言っていいのか、こんなふうに思ってもいいんだ。五味太郎みたいに自由に堂々とありたい、という願いはそのころからずっと持ち続けている

(が、最近やっと近づいてきたかなあという感じ(ああいう感じの字も書けるようになった)で、まったくまだまだです。ちなみに五味太郎の父親は大学の先生で、母親も文学が好きで趣味を持っていた人のようである。生い立ちについて語った記録を読むと、なるほど教養のある両親のもとですばらしい教育を受けてきて、五味太郎が出来上がったのだなと納得させられ、とてもうらやましくなる)。

つまり五味太郎のよさというのは、ユーモラスな絵だけではなく、盛られた言葉と相俟って漂ってくる自由主義の風みたいなもの、だと思う。社会派なんだな。

『きんぎょが にげた』もいいけど、それよりも『ことわざ絵本』の方にユニークさが現れていると、私は思う。幼児よりも、それより上の年齢の人間にとってインパクトが大きいと思う。

そういうわけで私は五味太郎カレンダーを買った。

このカレンダーがまたなかなか変わっていて、2週間ごとにめくる。絵の部分は、切り取ってはがきにすることができるデザイン。1年で約30枚、五味太郎の絵はがきができる。なかなか楽しい。こんなにあるのだったら何枚かどこかへ送ろうかしら、という気にもなる。

さらに使っていると気付くのは、このカレンダー、カレンダーとしての役目をあまり果たさないらしいということである。2週間、14日の表示しかないので、今週と、来週か先週しか分からない。しかも一律で14日の表示をされていると、どうも、一月まるごと載っているカレンダーと比較して、格段に「今日は何日の何曜日なのか」がよく分からなくなってくる(曜日も主張しないデザインになっている…)。よく分からなくなってくるので、日付などどうでもいいじゃないか、今は○日「ごろ」という程度の認識でいいんじゃないか、という気になってくる。もう終わったことや先のことに意識を向けて何がそんなに良いのか。現在に集中すれば?日付などたいしたことではないですよ。

というのが意図したものかどうかは知らないが、そのあたりも五味太郎ぽいと感じ、私はすっかりこのカレンダーが気に入ってしまった。今年は一層五味太郎に憧れ、一層自由を願って過ごすだろう。