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Accipe quam primum

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

寛容がほしい

27年一度も人と接触せず、ある森の「隠者」の真相

ナショナルジオグラフィック日本版サイト

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/041100075/

 

その隠者の生まれ育った家庭は、

「低中産階級で、あまり裕福ではありませんでしたが、夜にはシェークスピアや詩を読むような家庭でした。自動車や配管の修繕も自分たちでこなしました(…)電気代を1セントも払わずに野菜を育てることができたそうです」!

 

なんとすばらしい。

 

頼むまずこういうことを義務教育で教えるべきだ。こういうことが体得できれば、自分の生活を自分で形作ることが今よりもずっとやりやすくなるはずだ。これこそが知性の始まりだと思う。そうすれば人間同士の無益な関わりが減って、争いも無用な産業も今よりは落ち着くだろう。例えばメーカーの倫理感覚も変わるだろう。何も考えずに働き続けることがやめられるだろう。過労死する人も減るだろう。

 

ただソローの森の生活では母親が洗濯してたとは知らなんだ、ファッションだったのかよ。まあいいです、私はソローの森の生活がしたいとか森の人(ナウシカに出てくる)になりたいとかよく思うのです。

 

「ナイトが社会を離れたのは、この世界に居場所がなかったからです。ナイトは非常に聡明でありながら、社会に適応できなかった人物です。彼に少しの土地と食料を与えて、静かに暮らせるようにしてあげることはできないだろうかと言う人もいます。」

 

ぜひそれが可能な社会にしよう。

すぐにでも可能なはずだ。

もっと寛容を。

 

「私はときどき、例えば車を運転していて、後部座席では3人の子供が喧嘩をし、約束の時間には遅れそうで、渋滞は動かず、ラジオが嫌なニュースをがなりたてているようなときに、こんな強烈な思いにかられます。おかしいのはナイトではなく、私たちの方なのではないかと。なぜナイトが社会を離れたのかではなく、なぜ我々はそうしないのかと問うべきなのかもしれません。」

 

私は万人がそう問うべきだと強く思う。ナイト家のように生活できるようになりたい。関係を持ちたくない、巻き込まれたくない、ただ距離を置きたいものがある。もっと棲み分けられるはずじゃないですか。

 

まぁ完全に一人で生きるのは難しいかなぁ…。

だいぶ孤独に生きてきたけど。

もっと多様性に富んだ社会だったらば、私もこんなに追い込まれなくて良かったのにと思う。全然多くのことを望んでない。

電気の新譜

3月1日にアルバム『TROPICAL LOVE』が発売された。

電気グルーヴは私のオールタイム好きなミュージシャンベスト3に入っているのでざっくりとした活動情報はどこからか自動的に知れてくる。でも、VOXXX(2000)より後は、ちょいちょい好きな曲はあるけど、素直にいいね!ってアルバムは無いというのが正直なところだった。だけど今回はインタビューで本人たちが最高傑作とか言ってて、なんか宣材写真もかっこよく楽しげなので本当かな?って気になって試聴したら本当に、個人的に電気の最高傑作と位置づけているVOXXXの感じちょっとあるかもって期待感がぐっと。

<ネットで読めるボリュームのあるインタビュー>
なんでSPURなのかはよくわからない。
電気グルーヴ・ロングインタビュー「無駄こそ最大の贅沢なんです」

https://spur.hpplus.jp/culture/topics/201702/27/cJdJhkA/

買おうと思ってたけどネットで予約するのをすっかり忘れていて、発売日(店着日)に行けるCD屋に行ったんだけどばっちり定価でしか売ってなくて、一旦諦めて帰ったところ、AppleMusicにあるのに気がついた。やった!と思ったけど同時に怖いなと思った。具体的なブツを手に入れに行く楽しみゼロになってるなあと…なんか欲を感じるとか選択する部分を安さで奪われている気持ちになる(そしてよく考えると安いとも言い切れない)。まあ敷居の低さを提供するとか、音楽に金が落とされなくなっているという事情の中では、それなりに意義があるんだろうけど、貧乏で育ってきたせいか、本能的に怖いです、巨大資本とか巨大な市場とかグローバリズムとか。グローバリズムは本能抜いても怖い。

初めて通して聴いてみた感想は、なんて洗練されていてオシャレなんだ!!(電気比)。VOXXXはバキバキでかっこいいけど、家に特に電気に興味の無い人を呼んだときにスッとかけられるかというと、難しい。でもTROPICAL LOVEはいけるんじゃないかと思う。歌い方も余裕を感じる!!大人になったぞ、電気グルーヴ!!(…よく考えると前作『人間と動物』も電気知らない人に聞かせられるように思える…けど、今回はよりなんか、開かれた感じがする…気がする…)

結局パッケージはライブDVDが付いている初回盤を購入。電気の新譜(オリジナルアルバム)を新譜のタイミングで買うっていうのは実は初めてで何か私も大人になったのか?という気がした。ライブDVDと言っても、電気は副音声でやってる雑談が楽しいのでどちらかというとそれが聞きたいという話。初回盤だけっていうのはもったいない気がするけど、まあ電気の喋りはいらんっていう人もいるのかもしれない。私には電気の喋りはとても面白い。楽しい。それも結局は卓球と瀧が仲の良い友達だからだと思う。他の人相手では卓球はあんなにあんなふうに喋れないだろう。瀧大事

私が電気を好きになって聴き続けている理由は日本語の良さがまずある。まあ思想的な雰囲気も含めて。特に卓球は言葉遊びをバカみたいにやるけど、その一方で言葉の定義っていうか使い方には神経使って彼なりの筋を通しているところがあって、そこが信頼できるから安心して聞いていられる。ロジカルなところはロジカルだし。

いやしかし、25周年のライブ見た時も妙な感慨があったんだけど、もう20年以上電気グルーヴの新作、やっていることを楽しみにしているって…って驚いてしまう。改めてオリジナルアルバムお気に入り順というのも考えてしまった。今回の新譜が良くなかったら考えなかったと思う。でもこういうのは聴いてる年数が長いほど、自分の変化もあるので位置づけが難しいもんだなと思った。まあ披露してもね、同じように電気を長い間聴いてる人しか感想とか出ようがないよね、日本にそこそこいる、1万人くらいはいるのかな??と思うけど、日常生活で出会うレベルではほとんどないよね。

 

<電気オリジナルアルバムの私の脳に刺さった度合いランキング>

1 VOXXX(2000) ★★★★★

2 ORANGE(1996) ★★★★☆ ※☆は★半個分

3 VITAMIN(1993) ★★★★
3 DRAGON(1994) ★★★★
3 KARATEKA(1992) ★★★★
3 TROPICAL LOVE(2017) ★★★★

7 FLASH PAPA(1991) ★★★☆
7 人間と動物(2013) ★★★☆
7 A(1997) ★★★☆
7 662 BPM BY DG(1990) ★★★☆

11 UFO(1991) ★★★

12 J-POP(2008) ★★☆
13 YELLOW(2008) ★★☆
14 20(2009) ※ほとんど聴いてない

以上。電気グルーヴは良いよ、楽しいよ。

東京の歌

個人的東京ソングベスト3

 

第3位  The Books「Tokyo」

サンプリングされてる音声から行くと現代の東京ではなくて小津映画みたいな東京をイメージする。

 

第2位  eastern youth「東京west」

単に東京の西の方に住んでいたということがひとつ。寒い帰り道とかに「真夏は真冬のようにも見えるんだ オオオーオーオー」などと口ずさみたくなる。東京の真夏が真冬のように見えたことはないけれども

 

第1位  kimonos 「Tokyo Lights」

ぶっちぎり心の第1位東京ソング。ときどき涙ぐんじゃうくらいである。

なにしろ歌詞が私の東京のイメージにばっちりなのである。

Tokyo lights deceive me

とか。まぁ単にギターがニューオーダーっぽくて好きな感じだとか向井とLEO今井のもはや東京というより「ツォーキョー」というチバユウスケばりの発音が楽しいってのもある。

トーキョーーーーーライツ!!!!!と声を上げたくなることがときどきあるが、なぜかカラオケに入ってないので困る。もどかしい。

モノズと言ったらトーキョーライツである。

向井秀徳過ぎないのが好きなんです。ちょうどいい向井秀徳具合。LEO今井の東京電燈の2じゃない方は聴いたことがないんだけど、ほとんど同じなのか、どうなんだろう。「僕には関係無いんです」「電気回線に水を注ぐ 無我夢中で逃げる」とかは向井っぽいと思うんだけどなあ。

 

まあジュリーのTOKIOも好きだけど、もう時代が世知辛すぎて心が離れる。くるりの東京はメッセージつーかストーリーつーかが明らかすぎて私が聞かんでもいいなと思う。まあ東京は夜の七時、なんかを挙げられる心の状態が欲しいところだけど。たぶんTOKIOや東京は夜の七時は東京の中の人の歌なんだよね。私は東京の人間ではないので、何かアンビバレンスを歌ってもらっているほうが安心するんだよね。

 

潮時も轟々迫ってる

 

Born to de facto standard

やっぱり生きるのつらいな。
寂しいのは変わらないかも。
社会でそこそこやれるほどまでに自分を助けることができない。
私は結局生きるのが難しい人で、そこは変えられなくて、他人より努力して生きられる場所を探さなくてはいけない。
誰か一生じゃなくてもしばらく一緒に流れていける人がいればなー。
せめて仲の悪くないきょうだいがほしかった。
大好きだったお父さんが空から見守ってる設定でもいい。
どうしてなんだろう。理由なんかないよね。
でもまだまだまだまだやらなきゃいけないことがあるらしい。
全部1人でやらなきゃいけないのかなー。
自分のせいじゃないことも責任を取らされてでも仕方なく頑張って生きてきて。
うーん。つらい。
疲れた疲れたよ。
誰か助けに来てよ。
わけのわからないものにいくら払ったら救われるとか信じたい。
泣き喚きながら小さくなって無くなりたい。
まぁゆっくりそうなってるようなもんだけど、いつまでも続いているのつらい。
もっと早くに消えてたかったし生まれて来なければよかった(>_<)
私が死んで好きな誰かを生き返らせるとかできれば喜んでそうするのになあ。

THE MANZAI 2016 プレマスターズ

M-1やったらTHE MANZAIはなくなるんかと思い込んでたんだけど、局違うしそういう話じゃなかったのか。と驚いて、THE MANZAI本編は見れてないんだけどプレマスターズの方を見た感想。

 

初めて見た中では、笑撃戦隊とトットと錦鯉が面白かった。

 

笑撃戦隊

やしろ優の彼氏でやしろは見た目はそーでもないって言うけど私は結構タイプだ!!っていうのだけだったけど、切り口が斬新で驚いた。気負いのなさもかっこよく、細かい言葉遣いも好み。大人っぽい!!

 

>トット

2丁拳銃みたいな心温まる笑いですごく好感持てる。これからも見たい。もう少し言葉は選んでもいいかなと思うけど…そういうネタってーー笑い飯も誰かを傷つけるようなんじゃなくて、しかも老若男女笑えるようなのを続けたいというようなことを言ってた気がするんだけどーー作るの簡単じゃないと思うんだよね。大げさかもしれないけど、そういう自分たちが良しとする価値観を考えて守るようなネタをやっていってほしい(誰だよ)。

 

私は社会的なネタをまともにやる漫才師が出てきてほしいと長い間願っている。おかしいことはおかしいと言えて、これからの社会はどんなふうになったら良いだろうかというのを考えられる、夢見られるきっかけになるようなお笑いがあっていいと思う。まあべつにニュース番組でもいいし、日本映画にも同じことを思っているんだけど。でも映画の方も結構寂しい状態が続いてるんだよな〜。

 

>錦鯉

声質と喋り方がキャイ〜ンに似てるような。。ボケの人はもっと他に似てる人いるような気がするんだが思い出せない。ツッコミの人は天野プラスハチミツ二郎だよね。見た目がきわどいけど、もう少し経験積んだらもっと面白く見えると思う。常識的なだけじゃなくて、独自の価値観を持ったきついツッコミが磨かれる方向に行ったら私は面白いかな。

 

>その他

馬鹿よ貴方は、面白くなくはないけど、もうひとパターン見たい。銀シャリは面白くなかった。橋本には鰻よりいいボケがいるんじゃないのか??言ってもしょうがないかもしれないけど。ミキのツッコミはプラスマイナス岩橋を思い出したな〜。‬

 

とろサーモンタイムマシーン3号とニューヨークはいつも通りという感じかな。私にはとろサーモンが頭一つ抜けて面白かった。ずっとテンポの良さがあるのはすごいなと思う。タイムマシーン3号とか面白いしいい加減誰かタイトルあげてくれと思うけど、ダレる、飽きるところときどきあるもんね。

 

磁石はどこ行ったの?

高齢処女メンタル

40歳独身処女の親友が自殺した。(はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/touch/20161211002952

 

あーすっごいこの死んだ人に共感できる。

たとえ創作でも全然共感できる。

私もこれから、良くて婚活頑張ってご縁ができなくて40くらいで自殺かもーって思ってる!!

自分のなりたい憧れの人より、キラキラふわふわの女子とかバリキャリとか子育て主婦なんかより、ずっとわかる!!想像できる!!

 

(学生時代からずーっと近くで付き合ってる親友もいないし、私が自殺したら親はかわいそうかなーとは思うけど謝りたいとまでは思えないし、親のことを頼める親族もいないけど。)

  

これが引き寄せなんだよねー!!

だから自分を変えるのは難しいの。

今まであったことから認識している自分の世界観にすぐ引き寄せられてしまうから。

だから助けてくれる人が必要なの。

 

(私も全然助からないのでたくさん本を読んでいろいろやってみたけどダメで、自分の努力も必要だけど、やっぱり誰かに助けてもらえるようでないといけないんだなと思うようになりました。)

 

でもこのエントリを書いた人が旦那を貸せなかったように(貸せなくて当然だと思うし貸せばよかったという話でもないと思うけど、ただ「分かった…他でもないあんたのためだからね…貸すわ!!」ってクソ真面目に話を進めてみたら彼女が今も生きていた可能性はあると思う)、助かる形で誰かを助けるってほんと難しいからね!!

 

問題なのは高齢処女というか、高齢処女っぽいメンタルなんだと思う。もう少し良いネーミングがある気がするが…コミュニケーション能力が不全。30代後半くらいになっても、他人と安定して親密な関係を築けないとか、自分がここにいて大丈夫って感じが無いとか。これは小さい頃からのことが関係している可能性もあるし、30年以上積もり積もった結果だから、他人が簡単にどうこうはできない。少なくともすぐに結果が出るとは期待できないので普通の人は付き合いきれないと思う。それは私もわかってる。だからといってそういうことの専門家がいて一般にお世話になれるかというとそんな環境ではないから、希望が持てなくて延々苦しむことになる。死にたいと思うようになる。

 

こういうのも自然淘汰かなと思う(だいぶ社会に改善の余地はあると思うけど)。だって人間として生きてるって感じしないもんね!!

 

しょうがないよね!!

 

scratch scar

「でも俺は本当は親密さがほしいんだ。全てを預けてしまえるような種類の親密さが。これまで持ってきて作ってきて溜め込んできたものを一度に全部投げ出してしまっても平気の余裕の楽勝の親密さがほしいんだ。(舞城王太郎『煙か土か喰い物』)」

 

雨宮まみ氏が亡くなってから彼女の文章を彼女の作品として読むようになった。

以前から知ってはいたものの、特に興味を持っていなかった。彼女は私と同じように生きづらいタイプの人ではあったようだけど、まあ基本的には「普通の家庭の普通の子供」。以前少々文章を読んで私にはやはり得るところが少ないと感じたため、それぎりになっていた。

しかし亡くなってから、友人がわりと好きだったという話も聞いて興味が出たので「40歳がくる!」という連載を読んでみると、かなりのところ共感できることを書いていた。今回は彼女のはてなブログ「戦場のガールズ・ライフ」から実質的に最後の記事「死にたくなる夜のこと」を引用しながら自分語りします。

http://mamiamamiya.hatenablog.com/entry/2016/06/08/031212

「この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、ベランダからじっと地面を見つめるときがある。冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる」

死にたいというより、苦しみが続くのがつらい(乗り越えてたどりついて生きててよかったと思えそうな楽しみが無い)ので逃げたい、ということなんだよね。死にたいと言ってしまって心配されたとしても、そこは変わらない。

私は死にたいと言うとき、何を期待しているのかわからないけど言った方が楽になれる気がして言ってしまう。いや、それでもちろん誰か奇跡的に愛してよい人が抱きしめにきてくれて一緒に眠ってくれたらそれで済むと思う。でもそれは期待できない。そういう可能性があるんだったら死にたいと言わずにその人に愛していると言うだろう。わざわざ誰かに死にたいと言って憐憫や自らの孤立を煽って楽しいわけではまったくない。

「「死んだら、みんな、「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ」

そう、そうなのだ。私は死にたいと言ってしまうとき、私のことを多少なりとも気にかけてくれる友人たちに一番伝えたいのはこのことなのである。彼らとの交流は私にとって感謝すべきことがらであり、それは疑いがない。それはそれとして、それとはまた別の問題として、私は彼らのせいでもない、私が全部悪いわけでもない問題に苦しめられている。そして、自分で努力してはきたけれども、生きたいほど自分を癒せていない、そういう場所にもいない。苦しみが続いていてどうにもできなくて追い詰められてしまう。というだけなのである。まあ雨宮氏と違って私の場合、相当に社会の仕組みが悪いと思ってはいる。

「時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。経験でわかっていても、人の心は、なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう」

私は、ただ時間が経てば何も感じなくなるとは思わない。心が閉じて硬くなることはあっても。雨宮氏は30代後半で大きな失恋をされたようだから、そのことを言っているのかもしれない。

「この先の景色を見たい」という気持ちが、わたしにはない。いつも、ずっと、一度もない。「この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる」と思ったことは、一度だけある」

私も、やみくもにでも自分の将来を楽しみにすることができなくなってしまった。何か日々の辛さを受け止めて楽しみにできることも無い。

その時々に集中してその時々を楽しもうとする、というのが一番だろうと意識してはいる。でもそもそも、楽しみがあったり、基本的に大丈夫だとか思っていられるから、現在に集中していられる、という話なのであって、私はそこがとても弱い。

一生じゃなくても、しばらく誰かと一緒に生きていけたら、誰か頼っていい人が作れたらと思うけれど、これから出会いを作れたとしても、これまでのことを措いて一から努力できるだろうか、希望を持とうと前を向けるだろうかという不安がある。それは相手にも言えることだから、余計にハードルが高い。20代の時にはそうは考えなかった。また別の怖さはあったけど。

「手すりから引き返した日常を生きている。普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。(…)明日が、強烈な一日であるように。(…)引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように」

これは痛切で空虚な願いだと思う。私も何度も引き返してきた。私は勇気がない、こんなに苦しいのに楽になることを選べないなんて情けない、と思ってきた。引き返しても「いいんだ」を作れる自分ができていくわけでもないのだ。

死ぬのでも生きるのでも、自分の生に納得したい。「仕方がない」はさんざん思っているのだけど、「まあいいか」「悪くない」というように自分を、社会を許せたことがない。

幸せな普通以上の家庭の子供が、幸せな普通以上の暮らしを再生産することはとても多い。私はそういう人間に生まれることができなかったし、その上に(だからこそでもあるけど)雨宮氏のような生きづらさもある。未だに自分の人生のなんとなく「まあいいか」という方向すら見えない。毎日そういうことを実感して生きていかざるを得ない。あ、もう、ほんと、勘弁させてください、って感じです。